”人間の最小単位を「個人」から「分人」へ”
こんにちは、ゆーちんです!
今回は、平野啓一郎さんによって書かれた一冊『私とは何か』について、解説していきたいと思います。
「私とは何か」
何か不思議なというか、意味深なというか、そんな本のタイトルに惹かれ、手にとって読むことにしました。
正直、めちゃくちゃ面白くて、これまでにない考え方を学べる一冊です。
本記事を通して、タイトル通り
「私とは何か」について、一緒に考えていきましょう!
本書の目的
本を開いてまず一行目に、書籍の目的が示されています。
本書の目的は、ずばり
「人間の基本単位を考え直すこと」です。
どのように考え直すかと言いますと、
「個人」から「分人」へです。
頭ぽっかーん。
「そもそも人間の基本単位とはなんぞや?」
「分人ってなんですか?」って感じですよね笑。
日本語を読んでいるはずなのに、なぜか頭に入らない。
そんな読者のために、本書では残りのページを割いて、しっかりとこの概念について解説してくれています。
私もなるべくポイントを絞って、お伝えできればと思います。
本当の自分は何なのか?
皆さんは日常生活において、
すべての人と同様に接することができますでしょうか?
それとも相手によって、キャラを演じ分けていますでしょうか?
多くの人は後者だと思います。
家族へ接するのと同じように友達や先輩と接することは、なかなか出来るもんじゃないですよね。。
このように相手によって、キャラを演じ分けている人が多いのではないかと思います。
そしてこの時、多くの人は「本当の自分/ウソの自分」モデルに従って、この状況を捉えているのではないでしょうか?
つまり、どこかに「本当の自分」というものが存在し、キャラを演じている自分は「ウソの自分」であると考えているということです。
でも本当の自分は本当に存在するのでしょうか?
一体どれが本当の自分なのでしょうか?
何を持って本当と言えるのでしょうか?
そう聞かれると、答えに詰まりますよね笑。。
筆者は、この「本当の自分/ウソの自分」モデルを明確に否定します。
たった一つの「本当の自分」などというものは、存在しないというのです。
では、本当の自分とは何なのか?
筆者曰く、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」であるとのことです。
「分人」とは何か?
対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」??
どういうことか??
このことを理解するために重要となるのが、「分人」という考え方です。
「分人」、今回の最重要キーワードですね。
分人とは、ひとことで言うと
「対人関係ごとに生じるさまざまな人格」です。
例えば、両親と接している時の人格と、親友と接している時の人格は全然違いますよね。
親友と接している時の人格と、職場の人と接しているときの人格も全然違うと思います。
「両親との分人」「親友との分人」「職場の人との分人」といったように、一人の人間の中には、対人関係の数だけ分人が存在します。
それら複数の分人を足し合わせたものが、あなたという人間なのです。
あなたという人間を整数の1と考えるとイメージしやすいかもしれません。
人間を整数の1とすると、分人は分数です。
人によって対人関係の数は違いますので、分母は人によって変わってくることもあるでしょう。
また分子についても、関係の深い相手との分人は大きく、関係の浅い相手との分人は小さいといったように、相手との関係の深さによって変わることもイメージできるかと思います。
分人について、ご理解いただけましたか?
一人の人間は、分けられないIndividualな存在ではなく、複数に分けられるDividualな存在である。
これこそが分人という考え方なのです。
「分人」という考え方のメリット
ここまで「分人」という考え方について、みてきました。
でも、なぜ「分人」という考え方をしないといけないのでしょうか?
「分人」という考え方をすることで何が変わるのでしょうか?
「分人」という考え方をするメリットは
「分人を足場として、生きる道を考えられるようになる」ということです。
どういうことか?
Aさんは本質的にいじめられる人間なのか?
例えば、AさんがBさんにいじめられているとします。
この時、一人の人間が分けられない存在(個人)という立場に立つと、一つしかないAさんの人格が否定されることになります。
簡単にいうと、Aさんは「本質的にいじめられる人間」であると。
でも本当にそうでしょうか?
Aさんがいじめらているのは、あくまでBさんとの関係性においてのはずです。
他に家族であったり、友達であったりと良好な関係を築けている人もあるかもしれないのに、Bさんにいじめられたということで、Aさんのたった一つしかない人格が否定される。
これは何かおかしいですよね?
分人を足がかりに生きる
同じ状況を想定し、今度は「分人」という考え方に立ってみましょう。
「分人」という考え方に立つと、AさんがBさんにいじめられているのは「Bさんとの分人」においての話と捉えることができます。
「Bさんとの分人」が否定されたのであって、Aさんそのものが否定されたことにはなりません。
Bさんとの分人は、複数ある分人の中の一つに過ぎません。
一つの分人がうまくいかなかったからといって、自分を愛されない人間として本質規定してしまってはいけません。
では、どうすればいいのか?
筆者が提案するのは、「楽しい自分になれる分人を足がかりに生きる」ということです。
どういうことか?
複数ある分人のうち、「Bさんとの分人」として過ごす時間を減らし、「楽しいと感じれる分人」で過ごす時間を増やしていくというアプローチを取るのです。
誰かにひどい目に合わされた時、自分を消してしまいたい、生きるのをやめたいと感じることもあるかもしれません。
でも、そう感じているのは、複数ある分人の中の不幸な分人なのです。
分人という考え方に立つと、否定したい自己があったとしても、自分の全体を消滅させることを考えずに済みます。
個人という単位では大きすぎて扱えなかった問題を分人という概念までブレークダウンさせることによって、適切なアプローチを取ることができるのです。
我々がすべきことは、常に自分の分人全体のバランス調整をすることです。
最後に
いかがだったでしょうか?
今までにない考え方でなかなかおもしろいと感じませんでしたか笑?
私もこれまで、どこかに「本当の自分」がいると思っていました。
会社の人や関係の薄い友達と接するときは、本当の自分に仮面をかぶせた偽りの自分。
家族や親友と過ごす時は、本当に近い自分。
そんな風に捉えていました。
でも、分人全体に占める、家族や親友との分人の割合が高かったということなのかもしれません。
分人の構成比率を自分の心地いいものに調整していく。
分人というポートフォリオを定期的にメンテナンスすることで、豊かな人生を歩んでいければと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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