“自由とは、嫌われること”
こんにちは、ゆーちんです!
今回は、日本でも、世界的にも大ベストセラーとなっている『嫌われる勇気』について、解説していきます。
本書は、自己啓発の源流とも言われているアドラーの教えを青年と哲人の対話形式でまとめた一冊です。
ちなみにアドラーは、
- フロイト、ユングと並び心理学の「三代巨頭」の一人で、
- 『人を動かす』の著者D・カーネギーなど数々の自己啓発メンターに影響を与えた
と言われております。
私は、比較的多くの本を読んできましたが、本書『嫌われる勇気』が1番好きです。
おすすめの本を聞かれたときは、いつもこの本を紹介します。
それほど、本書は私に大きな影響を与え、今の私を形作ってきたといっても過言ではありません。
本書で押さえておきたいポイントは次の3点です。
①原因論ではなく、目的論 ②すべての悩みは対人関係 ③他者の課題を切り捨てる
非常に重要なポイントです。
今はなんのこっちゃ分からなくても、大丈夫です。
本記事を通じて、できるだけ分かりやすく解説していきますので、ぜひ最後までお楽しみください!
トラウマを否定せよ
本書の例をそのまま使わさせていただきますが、
例えば、小さい頃に両親から虐待を受けた引きこもりの少年がいたとします。
皆さんは「なぜこの少年が引きこもりとなった?」と考えるでしょうか?
多くの方は、次のように考えるのではないでしょうか?
- 少年は過去にトラウマの原因となる出来事(虐待)があった
- その結果として、不安で外に出ることができなくなった
でも本当でしょうか?
原因論の否定
本当であれば、両親から虐待を受けた人は全員引きこもることになり、
- 我々の現在や未来は、過去にすでに決定済みであり、動かしようがない
という決定論的な考え方になってしまいます。
アドラー心理学では上記のように、
”現在や未来の行動が、過去の原因によって引き起こされた”
という考え方を原因論と呼び、これを明確に否定します。
目的論に則った考え方
では、引きこもりの少年をどう捉えるのでしょうか?
アドラー心理学では、原因論とは対称的に、目的論に則った考え方をとります。
少年は「外に出たくないという目的を達成するために、不安という感情を作り出している」と考えるのです。
そして、トラウマは存在しないと断言します。
トラウマの経験に苦しむのではなく、経験の中から目的に合うものを選び出しているというのです。
- 外に出たくないという目的を達成するために、
- 過去に両親から虐待されたという経験を選びとっている
こういうわけです。
いきなりなかなか強烈ですね〜。
目的論に立てば、人は変われる
なぜ、目的論の考え方をするの?
目的論の考え方、いったい何が画期的なのでしょうか?
それは、目的論の考え方をとれば、人は今日からでも変われるという点です。
原因論の考え方では、今の自分の行動を決めているのは、過去の経験です。
でも、皆さんは過去に戻って、経験を変えることなんてできませんよね?
我々は原因論の住民である限り、一歩も前に進むことができません。
なるほど、、確かに過去の出来事は変えられない。。
しかし、目的論の考え方をとれば、人は今日からでも変われます。
なんで?
目的は決まっているものではなく、我々で自由に変更、設定できるからです。
我々は幸運なことに、過去の出来事にどのような意味づけをするかの選択肢を与えられています。
過去の出来事をどのように捉えるかは、我々に与えられた重要な課題
もし、変われないということであれば、それは心の中で変わらないという決心を下しているからに他なりません。
変わらないでいる方が楽であり、安心と思っているのです。
でも、変わるのって勇気が要りますよね。。
要ります。。。
そうです、アドラー心理学は勇気の心理学なのです。
小手先のテクニックだけで、変わることができればどんなに楽なことでしょう。
ですが、残念ながらそんな方法はありません。
人は変わるためには、やはり勇気が必要です。
すべての悩みは対人関係
皆さん、悩みはありますでしょうか?
- 仕事の悩み
- プライベートの悩み
- 自分の容姿
- 学歴コンプレックス
人の悩みは本当に底をつきません。。
しかし、アドラー先生は、こうした人間の悩みは、すべて対人関係の悩みであると断言しています。
そして、悩みを消し去るためには、宇宙の中にただ一人で生きるしかないと言います。
そんなこと言われても、、。
もちろん、宇宙の中にただ一人生きることなんてできません。
出来たとしても、猛烈な孤独に襲われるではないか、と考えるかもしれません。
でも、我々は孤独という悩みを感じるためにも、他者を必要とします。
確かに考えてみると、我々が抱えている悩みは、対人関係ですよね
劣等感、コンプレックスですら、誰々と比較して劣っているなどといったように、他者との文脈の中で生まれるものです。
人間の悩みは、すべて対人関係の悩みであり、個人で完結する悩みは存在しない
世界は非常にシンプルで、我々は対人関係の悩みにさえ、対処する方法を学べば良い。
このような考え方をとるのがアドラー心理学です。
承認欲求を否定せよ
皆さんは承認欲求をお持ちでしょうか?
私は持っていますし、強い方なのかなと笑。
ブログを書くなんて、承認欲求強い人にしかできません(笑)
承認欲求は、マズローの欲求5段階にも入っているぐらいですから、多くの人が持っていて当然かなと思います。
しかし、アドラー先生は、承認欲求を持つことを否定します。
アドラー先生、厳しい。。
承認欲求は賞罰教育の影響だとし、承認欲求を満たすことを目的にしていると、
- 褒めてくれなければ、適切な行動をしない
- 罰する人がいなければ、不適切な行動をとる
といった行動を導くのだと。
そして、何よりも「承認欲求を満たすことを目的にしていると、他者の人生を生きることに繋がる」と主張します。
- 他者の期待を満たすため、
- 他者からの承認を求め、
- 評価ばかりを気にしてしまう
他者の期待に応えようとする人ほど苦しむこととなってしまいます。
「課題の分離」をせよ
では、我々は一体どうすればいいのでしょうか?
- 他者の期待など一切考えず、身勝手になればいいの?
- 傍若無人に振る舞えばいいの?
違います。
アドラー先生は、「課題の分離」をせよと我々に説きます。
また新しいワード。。
「課題の分離」って何なの?
課題の分離とは、
「一体これは誰の課題なのか?」という視点から、「自分の課題」と「他者の課題」を分離することを指します。
「その選択によって、引き起こされる結果を最終的に引き受けるのは誰か?」という視点で誰の課題なのかを分離すれば良いとのことです。
分離して、どうするの?
他者の課題には踏み込まない。
ただ、それだけです。
あらゆる対人関係のトラブルの原因は、次のどちらかです。
- 他者の課題に土足で踏み込むこと
- 自分の課題に土足で踏み込まれること
「馬を水辺に連れていくことはできるが水を飲ませることはできない」
この例え話は、他人の課題をコントロールすることはできないことを非常に分かりやすく表しています。
馬を水辺に連れていくことは自分の課題としてできる。 一方、その馬が水を飲むかどうかは馬の課題。 なので、我々にはコントロールできないし、そもそも気にしなくていい。
自分を変えることができるのは自分だけです。
他人の課題をコントロールすることはできませんし、コントロールしようとしてはなりません。
我々にできるのは、自分の信じる最善の道を選ぶことだけです。
◆対人関係の悩みを解消する方法
①誰の課題なのかを考える ②自分の課題と他者の課題を分離する ③他者の課題には介入しない ④自分の課題には誰一人として介入させない ⑤自分の課題に対処する
嫌われる勇気を持ち、自由に生きる
ここまで読んで来られた方なら、次のことがわかったと思います。
- 他者から承認なんか不要
- 他者の課題はズバッと切り捨てたらいい
でも、、そんなことできないよ。。
大丈夫です、私も本を読みながら叫びました笑。
なんなら、物語の中でアドラーの教えを説く老人と対話する青年も叫んでいました(笑)。
老人に対してブチギレて、「お前は冷酷無慈悲なサディストだ!」と暴言吐きまくりでしたね笑。
でも、なぜ我々は他者からの承認を求める生き方が、不自由な生き方と分かっていながら、その道を選んでしまうのでしょうか?
うーん、なんでだろう。。
それは他でもありません、「誰からも嫌われたくないから」です。
ぐぅの音も出ません。。
でも、本当に誰からも嫌われないようにするには、どうすればいいでしょうか?
10人の他者がいたとすれば、
- 10人全員に忠誠を誓い
- できないことまでできると約束
- 取れない責任まで取れると引き受ける
そうしなければ、彼らの期待に応えることができません。
そして、結局嘘が発覚し、信用を失い、より苦しむことになるのです。
このように、他者の期待を満たす生き方は、自分に嘘をつき、他者に対しても嘘をつき続ける生き方なのです。
こんな不自由な生き方したくありませんよね。
したくありません。。
私も嫌です。。
もっと自由に生きたい。。
では、自由について、考えてみましょう。
- ここまで、すべての悩みは対人関係であることを学びました。
- そして、我々はこの対人関係の悩みから解放されることを目指していることもわかりました。
- しかし、我々は宇宙にただ一人で生きていくことはできません。
- なので、対人関係の悩みを解消するために、他者の課題を切り捨てる必要があります。
- でも、他者の課題を切り捨てると、他者から嫌われるかもしれません。
では、自由と何か?
その答えは、他者から嫌われることです。
誰かに嫌われているということ、それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きているしるしです。
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、他者から承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、我々は自由になることはできません。
他者からの承認を求め不自由な人生を生きるか、嫌われる勇気を持ち自由の道を歩むか、選択するのは皆さんです。
最後に
いかがだったでしょうか?
解説の中では、他者の課題を切り捨てることは、自己中で他者から嫌われることのような書き方をしました。
でも、そんなことはありません。
むしろ、他者の課題に介入することの方がよっぽど自己中心的な行動です。
また、仮に嫌われたとしても、「他者が自分のことを嫌う」という行為は、まさに他者の課題です。
他者の課題は、コントロールできないですし、コントロールすべきではありません。
嫌われている原因が自分が他者に迷惑をかけたということであれば、自分の課題として、他者に謝るなどして対応すべきです。
しかし、自分が自らの人生に嘘をつくことなく対応した結果、嫌われたということであれば、切り捨てちゃいましょう。
自分は自分のやることをやればいいのです。
私はこの本を読んで、アドラー心理学の考え方を学んでから本当に楽になりました。
自分がすべきことをしているということが前提ですが、他者から嫌われようが、どう思われようがどうでも良くなりました。
もちろんなるべく嫌われたくないですが(笑)
仕事においても、以前は、大勢の前で自分の意見を主張して恥をかいたらどうしよう、反対意見を述べてその人から嫌われたらどうしようと悩んだものです。
しかし、今は本当に組織のため、その人のためを思って言ったことであれば、誰にどう思われようが気になりません。
この考え方に立つと本当に強いもので、大勢の前で話すときとかも、あまり緊張しなくなりました笑。
こんな私の価値観を劇的に変えた1冊、是非とも皆さんも手に取って読んでいただきたいです。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
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